ひげ脱毛のケア
インフォームド・コンセントとい、立百葉は、日本では若干間違って使われています。
本来は患者さんの立場に立った言葉なのですが、多くは医師が患者さんに対してやること、医師主体の言葉として使われています。
ところが殿下の場合は、正に言葉の正しい意味での串主旬さんのコンセント(同意あるいは選択)でした。
これは我々にとっても非常にフレッシュな体験でした。
退院なさってから、ある晩、突然自宅にお電話をいただきました。
「先生、ちょっと伺いたいことがあるんですが」どんなことでしょうかと伺うと、翌日どこかでスピーチをなさるために確認しておきたいことがあるとおっしゃる。
「分かりました」「今から、そちらに行きますが・・・」行くよ||とおっしゃられても、僕のところは、底地十二坪ぐらいの三階建ての狭い家です。
そこにお付きが付いて、皇官暴言察の車がウーウー来られたら大変です(殿下注・私の場合は、運転手と護衛官のコ一人でしか動きませんが・・・)0「いや。
結構です。
僕が伺います」と申し上げた。
僕の家は荻窪で、車を使えば大した距離ではありません。
「だけど、先生、もうお風呂に入ったでしょう?」「ええ。
風呂は入りました」「その年で、風呂上がりに、この寒い時季、公邸まで来られたら風邪を引きますよ」殿下は「やはり、私が行く」とおっしゃいます。
こちらも「有り難いことではありますが」と、ああでもないこうでもないとやり取りをした挙げ句、結局、その晩は取りやめになりました(殿下注・私の場合、自分が依頼するときは、当方が出向く。
先方に依頼事がある場合は、公邸に来てもらうーーとい、ユ吊識を実行しているだけです)。
お気持ちは大変嬉しく思いましたが、「夜分、年寄りを動かすと風邪を引くといけないから」というのにはまいりました。
もうひとつまいったことがあります。
無事退院なさってから、お正月に御殿に記帳に伺いました。
殿下は、「上がれ、上がれ」とおっしゃり、それからこう尋ねられた。
「末舛さん、あなた、手術は上手ですか?」「上手なほうではありません」「そうですか。
そのせいで早くから管理職をやっているわけだ」私は五十ぐらいで副院長をやり、六十二、三で院長になって殿下をお迎えし、間もなく総長をやって、六十七ぐらいで退職してるんです。
普通外科医が管理職になるのは、そろそろ目がかすんできて、手が震える頃ですからね。
従って、「いつからやってるの?」とおっしゃるから、「これくらいからです」「随分早いねえ」ということで殿下の頭の中では、やはり手術が下手だという話とつながったのだと思います(殿下注・私は先生をからかっていただけです。
末舛注・私もジョークのつもりでした)。
病気はすべて同じでしょうが、その中でも特に、癌は隠しても一向に効果のない病気であることを、我々は理解するべきです。
私は、小さい頃から、危険と隣り合わせのスポーツばかり選択したわけですから、常日頃、生死に関する覚惜は持たざるを得ませんでしたし、虚弱体質でしたから、様々な病気も視野に入れるのは当たり前のことでした。
遭難、病気、事故、事件等々、一般的に他人事と考えている方々が多くて、自分(またはその周辺)に降りかかってきて、初めてショックを受けるという例が沢山ありますが、要は日頃の覚悟の持ち方と思います。
前述の通り、私は虚弱体質でしたから、それを克服するために様々なトレーニングを繰り返してきましたし、いい治療師がいると聞けば、どこへでも飛んで行きました。
従って、周辺に結構いるのですが、「健康ケンちゃん」で、ほとんど医療の世話にならない人たちの生き様の見当がつきません。
ただただ羨ましいとしか言えません。
私の場合、訓練を怠ると、心肺機能も筋肉もすぐ落ちてしまいますから、五十一歳の今でも、日々トレーニングやストレッチを欠かしません。
癌患者になってからは、量より質になりましたが、それでも総合力の維持のためには黙々とやらざるを得ません。
従って、素質だけで生きて来た人たちの身体の手入れの悪さというか、加齢と共に衰える肉体能力への歯止めに対する無神経さが、全く理解出来ません。
我が家系には、順番でいくと、照宮様(東久遡)に始まり、老ム呂様(鷹司)、高松伯父様、先帝様、そして私と、二世代で五人もいるわけですから、癌のDNA体質であることは、学生の頃から頭にありました。
そういう背景があった上に、私の半生のポリシーが自然に出来上がってきたわけで、すべては運命の範障と考えますし、暴飲暴食とストレスのたまる生き方を好んでしていたのですから、自業自得とも言えます。
本稿の中でもふれましたが、まず初めにしたことは、今後の対策会議でした。
カミさんをはじめ、我が家の全スタッフ、宮内庁の担当官、そして国立がんセンターの先生方にも来ていただいて、術前、術中、術後の計画を立案し、周知徹底することに努めました。
マスメディア対策、親戚への説明、見舞い客への対応等々に関して、計画魔ですから、すべて指示を出しました。
入院が決まって、がんセンターに下見に行ったのですが、主治医団の先生が「表彰状ものです」とおっしゃるので「なぜですか?」と伺ったら、私のように、はっきりさせてから入院する患者は決して多くないのでーーということでした。
人様々ですから、断定するのはどうかとは思いますが、癌という病気だけは、隠したところでいいことは一つもありません。
病巣を度々切り取った結果、様々なダメージがあっても、私のように、一応現時点では新しい癌の発生は見られないというのも一つのケースですし、切ったけれど、放射線や、場所によっては抗癌剤の使用で拡大を抑えて共存するのも一つのケースです。
また、末期で、自然に任すほか方法論がないという場合もありますが、いずれの場合も、その患者の持っている肉体能力(治癒能力)にすべてが委ねられているわけです。
従って、隠したところで、一年の余命が三年になるわけではありませんから、生きているうちに、やりたいことをさせるほうがよほど親切だと、私は思います。
死を「掛設旧」したかどうかですが、一回目と一一回目の手術時には、各々別々の遺書を書きましたから、人並みな気持ちはあったと思います。
しかしながら、私の生き方と死後のことは、それ以前に、嫌になるほど、周辺の人間(家族、スタッフを含む)に言い続けてきていましたから、遺言の内容も、いつも考えていることを書き出しただけで、特別な文章は一つもありませんでした。
最初のとき、書き終わって何かやり残したことはないかなと考えましたが、夢や理想を言えばキリがないものの、四十五歳のその時点まで、自分は目一杯やってきて、すべては順調に思う通り進んでいたので、とても満足でした。
あえて口惜しいことがあるかなと考えてみましたが、強いて-舌詰八歳と六歳)の結婚の相手を知ることが出来ないだけだな.::.:.::.:;.:.とO他の癌患者(その他の病気も含めて)で困ると思うのは、家族が、患者を私物化することですね。
これだけはやめたほうがいいと思います。
私は、出来るだけ多くの仲間に会いたかったですし、見舞い客が居てくれる聞だけ、痛みを忘れることが出来ました。
また、友人が何人も私のあとに擢患して、あの世に行きましたが、親しい人間であればあるほど、生きているうちに会っておきたいと私は考、えます。
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